リノベーションには、新たな価値を再定義する足し算だけでなく、まちの人にとってちょうどいい価値になるよう整理する引き算もあることがわかりました。続いて、二人が見てきた郊外の変遷を振り返ります。浮かび上がってきたのは、これからの人生を模索する「郊外くん」の姿でした。
馬場さん ところで、村上さんはどこ育ちですか?
村上さん わたしはですね。親が転勤族だったので、社宅が多かったんですよ。社宅は世田谷区や目黒区にありました。今でいうと高級住宅地ですけど、当時は畑もある田舎だったんです。
小学校の遠足にはたまプラーザにも行ったんですよ。まだ造成地で雑木林が残っていました。わたしは昭和43年生まれですから、ちょうど田園都市線が伸びていって、多摩ニュータウンができていくのを見て育ちました。
社宅は、いわゆる団地みたいにコンクリート。鉄の扉をガチャンと閉めて、階段をくるくる降りていく。だからコンクリートの団地にも、まったく違和感なく育ってきました。
馬場さん 気持ち悪いぐらいに似ていますね。まずね、年齢が一緒でした。そして親父が転勤族で、ぼくも社宅に住んでいました。違うのは東京じゃなくて西九州だったんですよ。
いわゆる団地や団地の横の一軒家を転々として、住んでいるエリアのそばが造成地になっていて、土地が切り開かれていって、郊外が広がる風景を見ながら育ちました。
ぼくらは同じように郊外が生まれる瞬間を見ていたんですね。
村上さん 自分自身と郊外も似ているように感じますよね。若い頃にモリモリ食べて、どんどん仕事して、遊びに行って、でもそういうこともだんだんいらなくなって、断捨離の本を読みたくなる。それは郊外が広がって縮んできたのと近い気がします。
馬場さん いろんなものを整理して、諦めることは諦めてっていうモードになっていかなきゃいけないなって、人間としては思っている。それは郊外にも投影できるのか。
本当はまだいけると思っていても、成長は終わり。50代っていうと、年を取って体力もなくなり、人生の先もちょっとずつ見えてくる。諦めることは諦めるけど、それはそれで別に心地悪いわけじゃない。
自分のやれることが絞られてきて、落ち着いてそれをやろうという気分になっていく。たぶん今の日本の郊外もきっとそうなんでしょうね。
村上さん どう老いていくのかをわかっていない「郊外くん」がいるような気がしますね。だから、いろいろ模索をしているところなのかもなぁ、彼も。
馬場さん 彼も(笑)そう考えると、郊外って昔からあった概念ではありませんよね。日本においては最近の、ぼくらの年齢と同じぐらいの歴史しかないんだよな。
村上さん 例えば阪急電鉄の小林一三さんが都市開発をして、それをモデルに東急電鉄や各私鉄、JRや民間の開発会社も始めて、URや公共団体にも広がっていった。それで戦後の人口増を乗り切りましたよと。
みんな一緒に高度成長したわけですよね。それで、そのあとどうするっていうことに今はなっているのかなと。
馬場さん もう、個性やキャラクターをはっきり受け入れていかなきゃいけない感じになっている。
村上さん 気が付いたら急に体力落ちたよねとか、人口減っているよねとか、スーパーなくなっちゃったよねとか。
馬場さん 「どうする?」って戸惑い始めている感じですね。一気に老け込む「郊外くん」と、それなりに新しい生き方を発見して受け入れながら次を見ている「郊外くん」がいて、差が出るような気がする。
もう郊外は均質じゃなくなるんだ。
村上さん わたしたちの年代って、ずっとマスであり続けてきたんですよ。一学年は8クラスで1クラス50人いますっていうのが当たり前。だから最初は均質だった。でもこの年齢になって均質じゃなくなってきた。
馬場さんがおっしゃるように別の輝き方をすることもできる。磨き方次第ということになりますよね。
馬場さん 都市の周期は100年ぐらい。人間も80何歳までが平均寿命。まだ折り返しをちょっと過ぎたくらいだから、老け込んで終わりを見ているばっかりではダメですよね。