「郊外」と聞いて心に浮かぶ光景は人それぞれ。そんな「郊外」について語り合うとき、マンガはうってつけの題材だ。なぜならマンガはストーリーの流れに身を置きながらも「静止画」で表現されているからだ。マンガであれば「あのシーン」と言ったときに頭の中で寸分の狂いもなくそのシーンを指定して思い出すことができる。(動画や小説ではこうはいかない。)であるならば、「郊外」が描かれた同じマンガを読むことで、ひとそれぞれの思い描くバラバラな郊外像を一旦「この郊外」として共有できそうだ。
以下に紹介するのは「郊外」が舞台と思われる2作品。それぞれの作品の「郊外」と自分のイメージする「郊外」とのズレや重なりを確認してみるとあなたにとっての郊外像が今よりすこしハッキリと見えてくるかもしれない。そんなきっかけになれば幸いだ。
『ひかりのまち』(小学館)浅野いにお
東京郊外の架空の新興住宅地「ひかりのまち」に住む住民たちを描くオムニバス作品。この街には「平凡な幸せ」を望む人たちが集まってくる。しかし、中には会社をクビになって自殺する人や、事件を起こして街に居られなくなる人もいる。こうして「平凡な幸せ」から外れてしまった人たちはいつの間にか街から消えていく。そして彼らが消えた後も、何事もなかったかのように街は「平凡な幸せ」を繰り返していくのだ。このように、無自覚に「平凡な幸せ」を望むことに対して著者は疑問符を投げかける。終盤で「ひかりのまち」に土地を売った土地成金の息子が「いつか大金持ちになって「ひかりのまち」を買い戻し、昔の村に戻したい」と語る。自分にとっての幸せを自覚した「個」と街のあるべき関係を示唆しているようなシーンだ。
『リバーズ・エッジ』(宝島社)岡崎京子
「あたし達の住んでいる街には河が流れていて それはもう河口にほど近く広くゆっくりよどみ、臭い」冒頭の主人公によるモノローグだ。このモノローグは物語の最後にもう1度繰り返され、さらに著者による「ノート あとがきにかえて」でより念入りに強調される。作中ではハッキリと描かれないが、おそらくこの川は多摩川であり、主人公たちが住む街は東京都大田区もしくは神奈川県川崎市だと思われる。川の向こうをモデルのこずえにとっての「芸能界」や同性愛者の山田くんにとっての「売春をする」場所とするならば、繰り返し登場する河縁の風景はこちら側の世界との容赦ない断絶を象徴しているのかのようだ。数々の断絶を無自覚に許容しながら、主人公たちはそれでも散り散りになった魂をつなげていこうとする。そこを「平坦な戦場」と呼ぶことは彼らへのエールでもある。