今、郊外について語る理由

2016.2.11

建築
馬場正尊
アート
池田修
社会学
若林幹夫

  • PROFILE

建築馬場正尊

Open A 代表/東北芸術工科大学准教授/建築家
 1968 年佐賀生まれ。1994 年早稲田大学大学院建築学科修了。博報堂、 早稲田大学博士課程、雑誌『A』編集長を経て、2002 年 Open A を設立。 新しい視点で不動産を発見し、紹介していくサイト「東京 R 不動産」を運営。東京のイーストサイド、日本橋や神田の空きビルを時限的にギャラリーにするイベント、CET(Central East Tokyo)のディレクターなども務め、建築設計を基軸にしながら、メディアや不動産などを横断しながら活動している。

アート池田修

BankART 1929 代表 / PH スタジオ代表。1984 年、都市に棲むことをテーマに美術と建築を横断するチーム PH スタジオを発足。美術館での展覧会、屋外での美術プロジェクト、建築設計等、活動は多岐にわたる。1986 ~ 1991 年ヒルサイドギャラリーディレクター。2004 年からBankART1929 の立ち上げと運営に携わり、数々の企画展やアートプロジェクト、アーティスト支援、出版等を行なってきている。大学や行政機関、街づくり、アート関係での講演・シンポジウム参加も多い。

社会学若林幹夫

社会学者/早稲田大学教育・総合科学学術院教授。1986 年東京大学教養学部卒、1990 年同大学院社会学研究科中退後、博士(社会学)の学位取得。筑波大学教授等を経て、2005 年より早稲田大学教授。『熱い都市 冷たい都市』、『都市のアレゴリー』、『未来都市は今』などの都市論の仕事を主軸に、『メディアとしての電話』、『地図の想像力』、『漱石のリアル』、『未来の社会学』など、メディア、空間、時間などをめぐって社会学的に考え、文章を書いてきた。郊外論としては『郊外の社会

学』、『モール化する都市と社会』などがある。

1取手を通して、郊外のアイデンティティを考える

馬場:僕が取手アートプロジェクト(以下、TAP)に関わるようになった 3 年くらい前というのは、TAP がちょうど大きな転機を迎えていた頃だったと思います。TAP が始まった当時は、もともと東京芸大あったこともあり、さまざまな場所に作品が展示される華やかなアートイベント、という様相が強かった。

ところが時は流れ、今や全国各地でアートイベント花盛りという状況です。その中でかなり早い段階から活動していた TAP は、団地で事務所を構えるなど、自分たちが立脚している場所をベースに、以前とは少し違うスタンスでアートを考えようとし始めた。

そんな中で作品というモノを展示するのではなく、一泊二日で来たアノニマスなお客さんを、団地の住人たちがホテルマンを演じながらもてなすドラマをアートとして提示する『サンセルフホテル』といった作品が生まれてきた。僕としては「これを果たしてアートと呼んでいいのだろうか」と思うくらい、形がなくて、偶然性にあふれた作品です。その様子を見ながら、アートの位相がずいぶん変わってきたのではないか、と思い始めました。

つまり、この取手という郊外でアートプロジェクトをやる意味、やることのアイデンティティを考え始めたのが「あしたの郊外」のきっかけです。瀬戸内国際芸術祭のような地方都市で、圧倒的な風景、圧倒的な人口減や過疎といった状況のなかで行われるアートプロジェクトは、ある種のフォーマットが見えてきています。一方、札幌や名古屋では、都市のすきまでアートがどういうふうに振る舞うか、都市的な文脈とアートの文脈がどう距離感を持つかというところで語られている。では、この都会でも田舎でもない、ドラマティックな風景があるわけでもない、人口がたくさんいるわけでもない、ベッドタウンと呼ばれる郊外でアートが果たす役割とは何なのか、果たして存在意義はあるのか。

昔は都市政策によって、過密する中心を避けるために郊外というものを量産してベッドタウンと名づけた。でも今は高齢化や過疎も進み、郊外に住む人は減る一方で都心居住は進んでいて、郊外に住む目的はどんどん薄れている。

一方で僕は郊外育ちだから、原風景として懐かしくもあるんです。ただ今の若い世代にとっては必ずしもそうではない。今後、郊外というものがどうなっていくのか、朽ちていくのか滅びていくのか、それとも違うアイデンティティを獲得するのか。僕は建築や都市計画のフィールドから、それをずっと考えてきました。

ただ、なかなか確かな解答が見つからなかった時に、アートという、僕から見ると少しつかみにくい概念を通して、「郊外」を考えるプロジェクトにできないかと考えた。そこで「あしたの郊外」という言葉を立てて、池田さんやアーティストの「目」、あるいはアート・プロデューサーの栗栖さんといった、背景も世代もバラバラの人たちと一緒に語り始めたところです。

池田:TAP はもともと、東京芸大というある種、非常に特別な学校周辺のアートプロジェクトという様相を強く帯びていました。それが「郊外」という、より一般的で大きな問いに向かった。僕個人としては「果たしてその問題の設定の仕方はどうだろう」と思いながら見ていることは確かですね。郊外は、別に取手でなくてもいっぱいあるわけだし。それが問題をわかりにくくしている部分もあると思う。

若林:「郊外」という問いと、取手で何かやっていこうというのは、重なるところもあるけれど、ずれていく部分もあるじゃないですか。でも取手を通して、郊外について見えてくる部分というものもあると思う。相互に触発しあうような対話があれば、きっと面白いだろうな、と思いますけどね。

馬場:池田さんには開口一番、「郊外って年金問題くらいでかい問題だぞ」と言われたのをよく憶えているんです。でも、郊外とアートについて語るものはこれまであまりなかったから、いい機会だなと。取手という場所性ならではの、サイトスペシフィックな解答もあっていいし、もっと一般的な解答もあって、それらが混在していていい。

池田:今回は国交省の助成事業のアート部門という印象を受けたんですけど、それは合っていますか?

馬場:「あしたの郊外」と「取手アート不動産」は、国土交通省の空き家対策事業の助成対象プロジェクトになっていて、全国の20都市くらいで福祉や教育といったテーマの取り組みが並んでいる中に唯一、アートというすごく珍しい切り口で入っています。

池田:北川フラムさんがやってきた『越後妻有アートトリエンナーレ』も実を言えば、里山をつくるという言い方で、市町村合併を推進するプロジェクトが始まりだったんですよ。もともと妻有は市町村だったけれど、今は十日町市と津南町だけですからね。

馬場:平成の大合併とリンクしているんですね。

池田:国は相当焦っていますからね。里山、高齢化した農村、それから団地、年金といった問題が起きて、何百万人というレベルでおかしくなってきている。それを何とかしなければいけない、という構造ですよね。

2郊外を語る “言葉” が足りない

若林:僕は社会学者で、アーティストでもないし建築家でもない。今おふたりの話を聞きながら、自分は郊外を年金問題、高齢化問題、郊外の衰退などのいわゆる「問題」として考えているわけじゃないんだな、と再認識しました。僕にとって、郊外はまずはとても個人的な問題としてあって、そのことが社会学的な問題にもなっているんです。

僕は東京の町田で生まれました。雑木林や畑は子どもの頃はたくさんあったものの、それらも段々なくなって、どこまでいっても住宅が続くようになっていった郊外の薄っぺらい風景が、あまり面白くなかった。高校から都心の学校に通うようになったら、東京って「ひだ」のように色々な場所があって、風景が豊かで、すごく魅力を感じたんです。そんな都市の空間に魅力を感じて、都市論を始めた。今から思うと郊外居住者の都市コンプレックスみたいなものがあったんですね。

でも一方で、自分の住んでいるこの平坦な風景をどのように語ることができるのだろうか、ということも、ずっと頭の片隅にあったんですよ。その思いがだんだん強くなってきた頃、90年代にパルコの『アクロス』という雑誌で郊外論を書きませんか、という依頼があった。それで東京や横浜の郊外を見て回っているうちに、自分の知っていた郊外とは、また別の郊外の風景が見えてきたんです。最初に気づいたのは「小人」です。

馬場:小人?

若林:住宅地を歩いていると、新しくできた可愛らしい家の庭に、ディズニーアニメの白雪姫に出てくる小人や、リスとかウサギとかがいる。80 年代後半から 90 年代初頭の多摩ニュータウンでは、ベルコリーヌ南大沢とか、ヴェルデ秋葉台とか、おしゃれな団地が増えてきた頃で、戸建て住宅の造成地でもいわゆる「ショートケーキハウス」が増えてきた時期だったんですね。これまで無愛想で無機的だと思っていた郊外の風景のなかに、これまでとは異なる層が現れてきたのに気がつくと同時に、あの無愛想で無機的に見えた郊外の風景も、郊外の歴史が生み出した表情の一つだったんだと気がついたんですね。

もうひとつは、両親とも先祖代々、(郊外化される前の)町田に住んできた旧住民なんです。僕にとって町田は、郊外であると同時に「ふるさと」でもあるんですよね。その記憶と血脈は近代の大衆社会の中に消えていく運命にあって、僕はその末裔という意識が子どもの頃からあった。そうした歴史の流れの中で自分の人生を振り返った時に、郊外の 60 年代 ~ 90 年代にかけての変貌と、自分があの土地で生きてきたことの意味みたいなものが見えてきた。「俺は郊外について書かなきゃいけないんじゃないか」という使命感みたいなものが湧いてきたんです。

自分が生きてきて、自分の社会に対する感覚やアイデンティティをつくってきた場所の経験や歴史に、言葉を与えたい。郊外がのっぺりして見える理由って、都市を語る言葉の豊かさに対して、郊外を語る言葉が貧困だからじゃないか。レム・コールハースが『錯乱のニューヨーク』で「マンハッタンのゴーストライターになるのだ」と書いたでしょう。郊外生まれ郊外育ちとして、おれは郊外のゴーストライターになってやろうと思って。語られていなかった「わたし」や「わたしたち」にどういう言葉を与えるのか。東京の周りをぐるっと取り囲む郊外には、同じような気持ちで生きてきた人間がたくさんいる。語られてこなかった「郊外」という経験に言葉を与えたいという欲望で、僕の郊外論は出来上がっているんです。

馬場:若林さんは独特のポエティックさを抱えつつ、郊外を主語として語っていますね。一貫してポジティブに語っているんですか?

若林:ネガティブに語ることは簡単ですよね。外から見れば薄っぺらにみえるかもしれないけれど、そこで生きてきた人間にとっては、そこで生きられてきた関係性があり、思いがあり、沢山の人が生きてきた歴史というものがある。郊外の薄っぺらさを生きてきた人びとの生の形と思いについて語るところから始めないと、ただ郊外を批判的に捉えて商店街とかコミュニティの再生とか言っても、意味が無いと思っているんですよ。

社会学でも、都市や農村について語る言葉はいっぱいあるんです。でも郊外って「都市と農村のあいだ」みたいな感じで規定されて、これまで固有の対象として語られてこなかったんじゃないか。

馬場:そこに圧倒的な人口がいるにもかかわらず。

3原風景としての郊外

馬場:建築の文脈でも、郊外について多くは語られていませんよね。僕や藤村龍至さんなど郊外育ちの建築家が語り始めたのが、最近だと思います。少し年上ですが、写真家のホンマタカシさんは「郊外」をドライに撮っていて、ああ分かる分かる、と思って見ていました。受け入れなければいけない現実として郊外の風景があり、それが美しくも見える、という切り取り方をしていて。シニカルなのか愛があるのかすら、分からない。

池田:僕は大阪の「粉浜(こはま)」というまちで育ちました。大阪のど真ん中から地下鉄の駅で3つか4つくらい、都市と郊外との境界線に属するようなまちです。粉浜自体は千年、二千年という歴史を持つ住吉大社の近くで、古いまちなんです。近くに「玉出駅」という日本で初めてできた地下鉄の駅があるんですが、その少し先にやはり日本で最初期の団地ができた。それが 1970 年頃、僕が 12 歳位の頃ですね。

僕が中学生の頃に、転校生たちがある日いきなりドッと学校にやって来た。その、どこの生まれかわからない子たちに対して、僕らは興味津々で。その中に可愛い女の子がいて、放課後に自転車で皆で団地に遊びに行ったりしていて。でもその子が、いつの間にか飛び降り自殺しちゃった、ということがあった。

否定も肯定もないけど、僕にとって、団地というのはそういう場所。根っこがない、どこから来てどこに行くのかわからないチームとして、僕らの前に宇宙人のように現れた。僕らも団地の中で遊んではいたけど、知らない人たちの場所、という感じですね。それが、いきなり生まれる。

平安や奈良といった時代から、都市はそういうものを生み出してきたんじゃないか。いつの間にか知らない民族がやってきて、「異文化と接している」という感覚がいつの間にか都市に吸収されていく。(郊外を語る言葉が少なく)都市論にしかならないのは、結局、権力側からしか語られないから。たぶん、異文化の側から見てはいないからでしょうね。

若林:郊外って英語で「suburb」、つまり(urb = 都市 + sub = 下に、という語源から)「都市に付属している場所」という意味です。歴史的に見ると、たしかに都市の中心部と居住地域というのは、古代からあったはずなんですよ。

ただ都市の歴史において、郊外の方が圧倒的にボリュームを持ってしまったのは、近代以降なんですね。交通機関の発達、そして都心部に経済的な機能をものすごく集積して、それを支えるだけの人口が都市に居住できなくなってきた。だから都市に付属している場所にもかかわらず、面積的にも人口ボリュームとしても、郊外の方が圧倒的にでかくなっていった。

ところがそれについて語られる言葉は依然として都市の側からか、伝統的な社会としての農村の側から。その結果、巨大な空白地帯みたいなものが出来上がってしまった。

池田:やっぱり都市にいる人が貴族という構造になっているんでしょうね。豊かな都市には労働者と貴族をどこかでひっくり返す力もあって、反転が起こるんでしょうけど。

若林:グローバルなことについて、ローカルな場所で考えることで初めて理解できるし、グローバルな構造が分かって初めてローカルな場所で生きてきたこと意味がわかる、ということがある。「郊外」をもっと大きな構造の中に置き直してみた時に、分かることがあるはずなんです。

馬場:僕の個人的な感覚からいうと、郊外は懐かしいんですよね。僕の親は転勤族でいろいろなところを転々としていたのですが、小学校の前半は九州の久留米の郊外で、後半が福岡の堤団地で育った。僕が住んでいたのは団地の隣の一軒家でしたが、遊び場は団地。だから身体スケールとして団地が染み込んでいる。

池田:いや、僕も(団地は)全然、楽しいと思うんだけど。でも郊外の生み出し方と原発の生み出し方が、ある意味でパラレルに動いているところがあると思うんです。「いけるぞ、これは」という政府の方針なんです。ウキウキ、いっぱい作っちゃった。それで10年くらいは上手くいったぞ、と。ところが 40 年もつシステムじゃなかった。

馬場:おれ、いま廃炉処理みたいな感じで、リノベーションとかしてるのかな(笑)。でも案外ウキウキで、廃炉処理している感じなんですけどね。

上手く言えないんですけど、僕らには自分の生い立ちを少しでも肯定したいという本能があるのかもしれませんね。ちょっと自己憐憫もあるんですよ。例えば、郊外のまあまあ大型ショッピングセンターで買い物かごを抱えて、いろいろな物に囲まれてボーッと頭を空っぽにする時間の、埋没していく感覚って、けっこう嫌いじゃない。アンドレアス・ガルスキーの写真作品を見た時の気持ちよさみたいな。大量の同じものに囲まれて、個性を剥奪される、意思を奪われている状態の気持ちよさみたいなものを、体内のどこかに持っている。是か非かは置いておいて、大量消費の風景が懐かしい。論理的にはそう感じたくないんだけど、いかんともしがたい。

そういう記憶があるので、郊外には愛着がある。だけどもう、マクロ的な施策や問題のことも分かってしまっているので、どこかしら冷めている自分もいる。だから結果的に、自己憐憫みたいな感覚で郊外を捉えてしまっているんだな。いま、おふたりの話を聞いていて、そう思いましたね。

郊外について多くの場合、哀しく書かれたり、批判的に書かれたりするのを読むと「ああそうだな」と思う反面、ちょっと悲しいんですよね。あの悲しさの謎が、ちょびっと解けた感じ。

4誰が郊外をつくったのか

池田:郊外って、いったい誰がつくったんですかね。たとえば今、イトーヨーカドーやセブン-イレブンが、これだけ広がっているのは、大衆はそれが心地よくて気に入っているからですよね。郊外も気に入っているんです、やっぱり。(人々が)気に入っているものに対してお金を出すから、儲かる人もいる。

馬場:でも最初はやはり公、国策ですよね。

若林:戦後のニュータウンなんかはそうですね。でも夏目漱石の『それから』には東京の初期の郊外である市ヶ谷が描かれていて、零細な土地の所有者たちの貸家が東京周辺で増えていることが描かれています。都市で働く人口が増え、より家賃の安いところを求めれば、民間の借地借家経営として郊外化は進んでいきますよね。

池田:大学が近くにできると、農家がアパートをいっぱい建てますよね。するとそこが郊外になっていく。

若林:一方で明治時代から大正・昭和にかけて、目白の文化村や洗足田園都市、田園調布といった、都心に暮らす中産階級よりもう少し上層の人たちのための別荘のような住宅地をつくる動きがありました。だから大きく分けると、2 つのモデルがある。小規模な土地所有者による、小規模な借地借家経営のような形でスプロールしていく郊外の生産と、大規模な不動産資本による、より理想的な居住モデルを提案する田園都市株式会社のような動きと。そして戦後に住宅不足の解消と産業化の中で、どちらの需要にも応えられるような形で団地、ニュータウンというものがつくられていった。

馬場:ただ日本では、市街化調整区域がなし崩しにされていった経緯がある。(市街化調整区域とは)一言でいえば建物を建てちゃいけない地域、都市があまりに巨大化し、スプロールするのを防ぐために設定されたラインです。それ以上拡大するとインフラの整備も大変だし、農地も残さなきゃいけないから「都市はここまで」と設定したわけです。ハワードの田園都市論も、このラインから先は工業地帯化しないで畑や森、と設定していて、レッチワースはそうなっている。ポートランドがいま豊かな都市だと言われてるのも、25 年前に成長限界線というのを決めて、コンテンツが豊かになった現在でも周りには森が残るというバランスが保たれているから。ところが日本は自分たちでラインを引いておきながら、「まあいいや」と民間デベロッパーにバンバン売って、スプロール化して、市街化調整区域や農地を民地にし、郊外化してきた。「郊外をたたまなきゃ」と言いながら、二枚舌で、郊外を広げる施策をしている。それは、本当に問題だと思うんですよね。

もちろん市民の消費の欲望や、初期には人口増に対して快適な環境をつくるという理由はあったと思います。だけど、もはやまったく状況が違うにもかかわらず、まだ死滅することが約束されている郊外を制度がつくろうとし続けているのは「おいおい」と思いますよね、本当に。

池田:責任感のない都市開発をやっている人がいるということですよね。

若林:個別の開発に関しては、業者がそこで利益が上がるからでしょう。

馬場:そういう状況だからこそ、郊外に対して僕らはどういうスタンスでいたらいいかというのを、言語化・ビジュアル化したいと思ったんですよ。ただ、三十歳ちょっとくらいの若いアーティストたちにとっては文脈も歴史も希薄なわけです。郊外に連れて行くと、「空き地も空き家もたくさんある〜」って無邪気に楽しそうにしているんですよね。どうやって郊外を楽しく遊び尽くすか、みたいなアイディアを一生懸命考えていて。それを見て、拍子抜けというか、彼らにとっては、新しいフィールドに過ぎなかったのかな…と思って。

5郊外は「幸せな老後」になるか

池田:インターネットと物流が整ってきたのは大きいと思う。僕は昔、BankART妻有(新潟で開催されている大規模な回遊型アートフェスティバルの一作品。古い農家を改修した作品)には一日たりともいたくなかった。ケイタイも通じないし、ネットもつながらないから、仕事が何もできなくなかった。今は、光通信を入れたんですよ。通販もすごくしっかりしているから、アスクルがちゃんと翌日来る、食料品でも文房具でも届く。だから何も問題ない。だから郊外において、ああいうものがもう少し成熟してきたら、ものすごく大きな求心力を持っていくんじゃないか。と、明るい気持ちで見ている部分もありますね。商売として成立すればいいわけだから。すると、廃村に向かうスピードは落ちますよね。

馬場:たしかに妻有のようなドラマティックな田舎は、「都会とのギャップのあるところで生きたい」と思うモチベーションがあるかもしれないから、便利になればなるほどいいかもしれない。でも、この特別な風景があるわけでもない、中間的な郊外のアイデンティティって、どうなっちゃうんだろう?

池田:でも土地の値段は安い。今、越後湯沢の人口が増えているんでしょう?高齢者に、値崩れしてきている昔のスキーヤー用のマンションがすごく売れている。東京から 1 時間の距離ですから、「幸せな老後」として買っていく人が多いらしい。典型的な、郊外の新しい構築だなと。

若林:かつては通勤するための郊外がどんどんつくられてきたけれど、「リタイアするための郊外」ということですよね。

馬場:妻の実家が聖蹟桜ヶ丘で、正月だけ帰るんですよ。すると、タクシー乗り場にたくさんの家族連れが並んでいる。みんな郊外に里帰りしているんですね。だから結構、すでに「老後は郊外」になっているのかな。

若林:実質的にそうなっていきますよね。住み替えが少なくて、寿命が伸びているから。住んでいるまま、リタイアした人たちの郊外になっているということですよね。

池田:妻有が取り組んでいることのひとつに「交流人口から定住人口へ」ということがある。でももう今は無理があるというのが分かってきて「交流人口が増えてくれればいい、地元の人が元気になっていけばいい」みたいな感じになっている。でも郊外ではある意味、妻有でできなかったことをやれる可能性があるなと思いますね。

馬場:まさにもう一度、別荘地として捉え直す。たしかに土地の値段が下がって賃料も安くなれば、東京に家があって郊外に別荘かおばあちゃん家、というのはあり得ますね。

池田:ただ、そういう時にいつも出てくるのは教育の問題です。高校や大学がないから、(若い世代が)出て行ってしまう。郊外がどんどん過疎化していくのは、二世代目が育たないから。そういった教育の中央集権的なやり方も、郊外の住み方とリンクするんじゃないか。おそらく、江戸時代の寺子屋のやり方だと思うんです。江戸時代の寺子屋の数は、現代の小学校よりはるかに多かった。日本は識字率もめちゃめちゃ高くて、ロンドンが 10% 程度だった時に日本は 70% くらいもあったというのは有名な話ですけど、読み書き算盤は津々浦々の農村まで行き渡っていた。だからこそ政府をひっくりかえす力があったわけだけれど。だから、教育のシステムとの関係もセットですよね。

若林:三浦展さんが書かれていましたが、自分の生まれ育った沿線から離れたがらない若者が増えている。かつて大学の郊外化は、ニュータウンをつくるみたいに、でかいキャンパスをバーンとつくって学生をみんな集める、というやり方だった。沿線という広がりをもった発想じゃない。これから考えるべきなのは、たとえば大学はひとつでも、街の中の色々な場所に教室や研究室がある、寺子屋のような分散型の教育の「場」ですよね。

馬場:キャンパスの求心力なんて、もう形骸化している。むしろどこかの商店街のまち全体をキャンパスとして、空き物件が研究室、みたいになると、本当に楽しそうですよね。

池田:大学の流動性というのは、ヨーロッパはすごく進んでいますよね。

馬場:ロンドン大学もケンブリッジ大学も、まちじゅうに小さいビルみたいなキャンパスがあって。

池田:(キャンパスを置くのが)違う国でも OK でしょう。

6いま、郊外に住む必然性

池田:通り一遍に語られてしまっているけれど、妻有はもっと分析して見る必要はあると思いますね。なぜここまで続いてきているのか。もちろん弱点も問題もあるけれど、郊外にとって参照すべきヒントをたくさん含んでいると思います。

それから妻有はすでに「空き家」をどうするかというのがスタンダードな実践の段階に入っていますよね。アート作品の会場として使われるものも増え、多様化してきました。

馬場:(妻有の空き家には値段がついていないのに対して)郊外の空き家はまだ値段はついているけど、どんどん増えているんですよね。いま取手で実現しつつあるのが、『減量住宅』という、空き家に住みながら壊していくというプロジェクト。僕は最初に見た時「こんなの出せないよ」と思っていたんですが、オーナーにとっては解体だけでもお金がかかるので「え、壊してくれるの?」と。たとえ家賃が 1 万円でも 2 万円でも、解体費を負担せずに壊してもらえるなら貸すと。

池田:それが、妻有ではもう普通の話なんですよね。あちらは雪下ろししないといけないから、管理する人がいないと 1、2 年でアウトです。僕は十年以上前に妻有で家を買ったんです。家の評価額はゼロでしたけど、千何百坪以上の土地がついて 150 万円。でも雪下ろしだけで年間 20 数万円かかりますから。だからアートで空き家を活用しているのは、(空き家を維持する上で)効いていますね、確実に。

馬場:そんな波が郊外にもやってこようとしている、というのが衝撃的ですよね。取手でそれが起こっているということは、今後、日本中で起こるんじゃないか。そういう意味では(減量住宅は)示唆的な作品だと思います。

この前、山形県の空き家対策委員会に出席したら、地元の銀行が「空き家ローン」という商品を作ったという。つまり、空き家解体ローンなんです。100 ~ 200 万円かかる解体費用に対してローンを組んで、売れたら回収する。維持管理とか固定資産とか火災とか考えると、壊した方がいい、と。

若林:1950 年に金融公庫ができて、1951 年には公営住宅法、1955 年に日本住宅公団と、国家的な政策として「家を増やす」という動きが進みましたよね。それ以前は、住宅産業ってそんなに波及する産業じゃなくて、地域の大工さんが建てていた。でもニュータウンや団地をつくるとなった途端、関連業界がずるずるっと出てきて、経済成長策としての住宅づくりが成立した。なおかつ住宅ローンという金融商品としても、意味があったわけですよね。

ならばそれをひっくり返して、家を壊して郊外をたたんでいく、もしくはつくり直すことが産業になればいいんですよね。「都市が縮小していくことが成長になる」というビジョンが提示できればいい。そのために、建築やアートは何ができるか。

馬場:解体ローンの話を聞いた瞬間、すごいアイディアだな、ものすごい金脈を掘り当てたなと思ったんです。と同時に「待てよ、かなりのまちが消滅するな」と。ただ今後の日本が、郊外をたたんでいかざるを得ないとしたら、たたむ方法やたたむこと自体をポジティブに変換していくことがプロジェクトになり得るのかもしれませんね。

若林:僕の家の周りもかなりの水田が休耕田で、荒れているんです。そこを草原にして遊んだり、自然観察できるところをつくる。自然に返していきながら、都市の環境を新しくつくっていく。昔つくれなかったグリーンベルトを、今こそつくろう、と。明治維新以降の日本は、都市および郊外で人がどういうふうに住むか、まじめに考えてこなかった。だからお金が儲かるようなものを、ビジョンなく場当たりにつくってきた。たとえばかつて城下や宿場や農村は、その地の習俗や伝承に即した住み方の形があったわけじゃないですか。

馬場:これまで問われてこなかった、郊外に住む必然性や意味、まちのコンセプト。

若林:僕はつくばエクスプレスで東京に通っているんですが、沿線を見ているとやっぱり、こんなことやっていていいのかと思いますよね。これから人口が減っていく時に、何が悲しくて東京から 60 キロ離れたところに、ショッピングセンターやタワーマンションを建てているんだろう?と。そういうビジョンしかない。そのために、そこにあった雑木林とか田んぼとかがなくなっていくわけじゃないですか。勘違いも甚だしい。

TAP:郊外の風景が農村や田園になっていって、物流も発達して、人々が都市に住まなくてもよくなっていったら、今あるような郊外は消滅していくということなんでしょうか。

馬場:郊外が田舎っぽくなるのかな。東京とかは人口が減りませんよね。

若林:郊外に生まれ育った僕の生活環境からいうと、都心に1時間かけて通うのはたいして苦ではない。僕はクラシック音楽が好きなんですが、クラシックのコンサートって圧倒的に東京が多いから、東京の近くを離れたくない。でも僕みたいにずっと郊外で育った人間にとって、都心に住むのは高いし、疲れそうで。すきまがあって雑木林があって、という郊外に住んでいる方が快適なんです。住民エゴかもしれませんが、これ以上開発されるのはいやですね。あんまり都会になってほしくない。だから「郊外=総・軽井沢化」みたいになると嬉しい。

馬場:森もあって畑もあって、解体されて適度に「疎」になった郊外を選択して住む。通える別荘地。いまお二人と話していて、郊外の幸せな風景が、ビジュアルでは想像できた気がします。東京から1時間、越後湯沢だったら 1 万円くらいかかるかもしれないけど、数百円で行ける距離に田園があり雑木林があり、都心へ通うことができ、地元にも事務所があって、住むこともできて。

池田:そういう時に、都市部のエリア・マネジメントのように、郊外部のエリア・マネジメントを同時にやっていかないと。

馬場:逆に軽井沢みたいに建設条件を厳しくしたほうが、エリアの価値が高くなるのかもしれませんよね。軽井沢の土地の値段なんて、今めちゃめちゃ高いですから。逆転現象が起きるかもしれないな。空き家ローンを使って空き地にして、木を植えてくれ、みたいな。そうすると税率が下がるとか。

池田:でも国分寺なんて「こんなによくできた郊外、ない」っていうような場所ですよね。あれは、郊外なんですか。

若林:郊外の歴史って、18 世紀にロンドン郊外にブルジョワが都市の環境の悪化がいやになって貴族のヴィラをまねてすごく豪華な住宅地をつくりますよね。それが欧米型の郊外のひとつの起源なんですね。アメリカもニューヨークなんかで都市化が進むと、ニュージャージーのルウェリンパークのような田園的な郊外がつくられていきますね。日本でも田園調布、国分寺や国立、成城学園などがそうです。つまり都市の近郊でヴィラのような暮らしをしながら都会の便益を享受できる。そういうビジョンのもとに計画された、お金持ち向けの郊外ですよね。

馬場:意思のある郊外ということですね。

若林:阪神沿線の芦屋などもそうです。お金持ちが住める郊外がまずあり、空いたところにもう少しリーズナブルな郊外ができてくる。誰でも郊外に住めるよ!と。

馬場:幻想を売ったわけだ。でも、僕らの目も少しは洗練されてきているわけだし、これからものすごい数の郊外が廃墟になっていく、悲惨な風景が現れてくる。ゴーストタウンを大量生産しちゃったわけですよね。

池田:国分寺や国立が百年単位で継続している理由のひとつとして、大学があるとか、内部に磁場がある、ということがある。適当に作られた郊外は、それがないから崩壊していくわけじゃないですか。東京の方を向いているより、自立心を持った郊外のほうが続きますよね。アイデンティティ、愛がある。

7制度が郊外の風景を破壊する

若林:その愛と経済のはざまの問題で。僕が住んでいる江戸川台には、裕福な方たちの立派な家がいっぱい建っているんです。ただ世代交代のとき、必ずしも子どもたちが戻ってくるわけではないから、相続のときに売るんですね。すると一軒建ってた土地を分割して、四軒建てるんですよ。

馬場:ミニ開発ですよね。

若林:これから人が減って、まちが小さくなっていく時に、何が哀しくて広いところを4つに分けなきゃいけないんだろう?と。でも4つに分ける人には、相続税という制度の中で4つに分けなきゃいけない必然性がある。それは、いいんだろうか。

池田:相続の話は、廃墟化する郊外を生んでしまう大きな原因かもしれませんね。

若林:日本の税制って、都市を公共的なものとして考えていない。私的なものの集まりとしか考えていないんですよね。

池田:プライベートな財産を持ち続けてはいけない、という税制になっているんですよね。

馬場:パブリック・マインドを剥奪していくような税制になっていますからね。

若林:街並みとか地域というものが、財産だという発想がないですよね。だからそうしたいと思ってもできないし、農地だって、耕さなくても農地として持っている方が優遇されるから、中途半端な荒れた農地がそのまま残っていく。シャッター商店街だって、シャッターを閉めていた方が儲かるんですよね。

池田:そういうふうにダブルバインドになっている制度は多いですよ。

馬場:大きい問題ですね。相続税が風景をズタズタにしているのは間違いない。

若林:不動産業者は、土地面積あたりの収益が高いものを作ってしまうから。

馬場:できるだけ小っちゃく切っちゃう。

若林:そういう、制度が悲惨な風景をつくり出しちゃうわけでしょ。

馬場:結局、長い目で見るとエリア全体のバリューをゼロにして、税収を失っているわけだけど、目の前のことだけでしかものを考えていない。

池田:お上ばかり悪者にするのはよくないけど、郊外を破滅させる規制がかなり多い。それをゆっくりでもやわらかくして解いていかないと、郊外も解けていかない感じがしますよね。

馬場:なるほど。じゃあ『あしたの郊外』としては法律家と一緒に、郊外を破滅させる法律を調べて、列挙してみてもいいかも。結構、見ものですよ。これまで建築家もデザイナーも税の構造については言っちゃいけない、言っちゃ格好悪い、という空気があって、触れてこなかった。でも風景論としてそれが巨大な要因にもかかわらず、そこに対して何も言わなかったからこそ、建築家は未だに風景に対して無力なんじゃないか。

若林:いくら景観条例ができたって、仕方ないですよね。

馬場:人間は欲望とか資本の方に動くんだから。そこから提言してみましょうか。

池田:今回、空き家に対する法令が変わりましたよね。壊さない方が得だったのを、壊したほうが得になる場合もある制度に。これは大きな話ですよね。

馬場:どっちに転ぶか、すごく危うい法律だなと思ったんです。

池田:郊外がシチズン・プライドを持ちにくい構造になっている可能性がある。

馬場:郊外がもっとコンパクトに収斂されて、アイデンティティとかゲニウス・ロキを持って。愛

着に満ちた郊外があって、周りが自然、という風になればいい。そんな風景と、そうなる制度のイメージを描いていかないといけませんね。そして、それを軽やかに見せてくれるのは「目」のような、若いアーティストなのかもしれませんね。

 

writer:石神夏希

photo:伊藤友二(北澤潤八雲事務所)