あしたの郊外、取手

2018.4.13

取手アートプロジェクト 事務局長
羽原康恵

  • PROFILE

取手アートプロジェクト 事務局長羽原康恵

アートコーディネーター/取手アートプロジェクト実施本部 事務局長/特定非営利活動法人 取手アートプロジェクトオフィス理事・事務局長

1981年高知県生まれ、広島、三重育ち。筑波大学国際総合学類卒業、同大大学院人間総合科学研究科芸術学専攻(芸術支援学)修了。大学院在学中に取手アートプロジェクト(TAP)に2年間インターンとして関わる。2007〜2008年、財団法人静岡県文化財団企画制作課プランナーとして複合文化施設での企画運営従事を経て、結婚・出産を機に取手に戻り現職。取手アートプロジェクトのフェスティバル型から日常型プロジェクトへの転換期をにない、コアプログラム《アートのある団地》の立ち上げほか、拠点運営・プロジェクトの企画運営、アーティストと住民をつなぐ中間支援、人材育成などに取り組む。

2014年にはじまったWebサイト「あしたの郊外 -Post Suburbia-」では、郊外の空き家に対するアイディアや、さまざまな人が郊外について語る言葉を紹介してきました。語る人の立場や考え方によって「郊外」は、さまざまな表情を見せてくれました。

本投稿をもって、Webサイト「あしたの郊外 -Post Suburbia-」の更新は終了となります。今後は、本サイトを運営していた取手アートプロジェクトが、みなさまの語ってくださった言葉を受けとめ、取手という郊外をフィールドにした活動のなかで実際に発芽することを試みていきます。

最後に、なぜ取手アートプロジェクトが「郊外」を掲げプロジェクトを行ってきたのか。そして、これからなにを続けていくのかを、事務局長 羽原の言葉でご紹介いたします。

Webサイト「あしたの郊外 -Post Suburbia-」にご協力いただいたみなさまへの感謝の気持ちと、これからの決意表明を込めて。

1取手という郊外のまち

取手は郊外なんだ、と意識しはじめたのは2010年からだと思います。それまで取手アートプロジェクトでは、会期を設定したフェスティバル形式でプロジェクトを進めていました。2010年は活動をより地域の日常に寄り添う形に変えていくため、「アートのある団地」と「半農半芸」という核となるプロジェクトスキームを立ち上げたタイミングです。

そこで団地や農をテーマに取り組むために、郊外について学ぶなかで腑に落ちることがあったんです。団地で接している人たちは優しいけれど、どこか踏み込み過ぎないよそよそしさもある。都会のようにお互いを知らないわけでもなければ、田舎の土着感があるわけでもない。それには取手の成り立ちが関わっているんだとわかりました。

70年代から急速に経済が発展していく社会の変化のなかで、大量につくられた団地に、さまざまな地域から人が集まってきた。取手も、団地の成り立ちと同じことが言えて。郊外と定義されていたものがなんなのか、取り組みはじめてからわかるようになりました

「アートのある団地」は、期間を決めて時限的にアーティストが関わっていたものから、普段の生活のなかでアーティストが活動を続けていくようなプロジェクトに移行してきました。そのなかではじまったプロジェクトの1つが、『サンセルフホテル』です。

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当時はフェスティバル型からどう脱却すればいいのか、事務局のメンバーがまだまだ模索をしている状況でした。正直、なにが「取手らしい」アートプロジェクトなのかわからず、アーティストから出てきたプロジェクトのプランを全力で受け止めて動き出すことができなかった。

そこで、一緒にプロジェクトを面白がって進めていけるメンバーを募ったのが「ダンチ・イノベーターズ!」です。アーティストはもちろん、建築やデザインの専門家から取手市民まで、さまざまな立場の人が集まって団地について考え、動いていくチーム。『サンセルフホテル』や『IN MY GARDEN』を実現するにあたり、心強いプレイヤーになってもらいました。そこで中心メンバーとして立っていただいたのが、Open Aの馬場正尊さんです。

2はらっぱのようなまち

「あしたの郊外」は国土交通省の方から、郊外で増える空き家に対するモデル事業に取り組まないかと声をかけていただいたことがきっかけで、立ち上げることになりました。

取手には、東京芸術大学のキャンパスがあることもきっかけになって、多くのアーティストが生活しています。このまちだからこそできる空き家の使い方を考えていくなかで、建築家に限らずアーティストや市民まで、アイディアを広く募集するプラットフォームとして立ち上げたのが、Webサイト「あしたの郊外」でした。

プロジェクトの名前を考えているときに、馬場さんが「あしたの郊外」という言葉を投げかけてくれて。僕たちは郊外に責任があるから、プロジェクトに希望を託したいんだっていう話をしてくださって。郊外が社会の変化とともにつくられたと考えたときに、すごく納得したんです。

一方で20代のメンバーが「あしたの郊外」という言葉に対して、「夕暮れみたいで、悲しい感じがする」と言ったことにも共感できて。私もどちらかというと郊外が原風景、育ってきた景色がそもそも郊外なんです。だからネガティブに捉えているわけではないんですよね。世代によって郊外への認識が違うことが、プロジェクトを進めていくなかで浮き彫りになっていたのはよく覚えています。

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2015年に開催した「あしたの郊外 キックオフ・シンポジウム」では、「郊外を考える人」としてプロジェクトに参画していただいたBank ARTの池田さん、スローレーベルの栗栖さん、アーティストの【目】がそれぞれの視点から郊外について話をしたり、郊外に広がる空き家を活用するアイディアを発表してくれました。それを求心力として寄せられた94のアイディアを、すべてWEB上で公開していったんです。

実現する保証もないなかでアイディアを好き勝手に出す。ポジティブでもネガティブでもどっちでもよくて、郊外について自由に議論する。

個人的には、その様子を“はらっぱ的”だと感じていて。2005年に、駅前の丘の上にあった、空き地を使って実施したプロジェクトと重なったんです。私たちはその空き地を「はらっぱ」と呼ぶことにしました。まずは空き地に登るための階段をつけるところからはじめる。なんでもない場所に階段がついたら、なんだろうって思うでしょう。はらっぱって、遊び方が決まってないですよね。

そのうちに子どもが登ってきて秘密基地にしたり、おっちゃんがブランコをつくったり。やりたいことを各々発表してみたりとか。鬼ごっこやかくれんぼでも、ぼんやり昼寝していてもいい。そのはらっぱでは、誰がなにを考えてやっても、それぞれが同じ場所に居合わせることができた。

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アーティストの力を借りてはいるんですけど、みんながのびのび、やりたいことを重ねたような場所になったんです。いろんな人が来て、自分のやりたいことを見つけて、好きなように実現できる包容力がある。郊外をそういう場所にしたい、取手もまち全体がはらっぱ的になったらいいんじゃないかっていうのが個人的に思っていることです。

自分のなかで郊外は、あまり固まりきっていないイメージがあります。だからこそ、いろんな人の余力が花開くような場所になるといいと考えていて。今、取手アートプロジェクトがやっていることもすべて、アーティスト、市民、スタッフ問わず関わる人たちの多様な発露に支えられている。そういった取り組みが、今後の社会で生きにくい人が徐々にでも少なくなるような価値観とか、ものの捉え方を広げるためのエンジンになるといいなと思っています。

3これは、アートプロジェクト

生きにくい人、という言葉を意識するようになったのは、『とくいの銀行』のアーティストである深澤くんの影響が大きいと思います。彼のプロジェクトはなんというか、すごくもろくみえるんですよね。だから、定まった仕組みの中では居づらい人、ちょっぴりズレを持った、個性的な人が集まってくる。

アーティストとして活動している人は、周囲からの理解があろうとなかろうと、これがすべきことだと感じていることをやり続けているんですよね。いい悪い、正しい正しくないっていう、二項対立みたいなものをうまく錯乱する役割がある。だから、必要な存在なんだと思うんです。

誰にでも多かれ少なかれ、周りとズレているところはありますよね。変わってるか変わっていないかではなくて、変わり具合のグラデーションがあるだけというか。それをできる限り多くの人が理解できると、お互いに生きやすくなるんじゃないかと思うんです。価値観の違いを認めるっていうことなのかな。楽観的すぎるかもしれないけど、小さな規模であれば実現可能なんじゃないかと思う。社会のすべては変えられないとしても。

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自分のことを伝えることや表現すること、ほかの人と表現しながら関わるというのは、生きるために必要だと思う。自分が本当に考えていることを、口に出さないまでも逡巡するような時間が日常のなかにあるのは、ルーティーンでまわる日々よりも豊かなのではないかと思う。そのきっかけをつくれるのが、アートプロジェクトだと信じているんです。

たとえば目的が福祉だと、やるべき内容が絞られてきますよね。いろいろな可能性を除外せず、あってもなくてもいいようなことに価値を設けられるみたいなのがアートプロジェクトのいいところだと思っていて。

社会の見方や捉え方、いろんな視点を提案することができる。1つの物事が別の角度から見ると違うものに見えたり、いろんな物語があるものに見えてきたりとか。想像して、知って、違う視点を得る。それがその人の日常につながっていく、っていうのがアートの大きな力だと思っているんです。

その意味でアートを受けとめた人は、徐々にいろんなものの捉え方ができるようになる気がするんですよね。私自身、実は最初は深澤くんの作品の価値がわからなかったから。2006年当時、深澤くんは『肉になる』というのを作品にしていたんだけど、正直、なにがおもしろいんだろうと思っていました。

その時の自分にはそれが造形的に美しいと思えなかったから、ちょっと嫌だなと感じていたんだと思う。でもその後も取手でプロジェクトに関わることで、人から湧き上がってきたもののカオスさ、混沌としている状態がおもしろいと感じるようになってきたんです。

「わからない、けどおもしろい」と思えるものが増えていくことは、豊かというか。蓄えになっていくような感覚があるんです。それぞれの人が蓄えたものが、どう発芽するのかはわからないんですけど。

4あしたの郊外を、受けとめて走る

今頭に浮かんでいるのが、『サンセルフホテル』に来ていた男の子のことです。最初に来た時は小学2年生で、誰ともしゃべらないでものすごく暗い絵を描いていた。団地を1人で歩いているのを、たまたま誰かが声をかけたんだと思います。「また次おいで」って言ったら、通って来るようになって。ホテルをつくっていく過程の中で、彼はとても大事なキーパーソンになっていったんです。こどもチームのお兄さんとしてまとめ役を果たしたり、彼の描く絵をホテルマンみんなが親しんで「画伯」と呼ばれるようになったり。

『サンセルフホテル』が終わるときには中学生になっていて、最終回に友達を連れて来たんです。帰り道に「高校生になったら僕がホテルやるから」って言われて。将来ホテルが実現するかどうかは別にして、彼のなかに少しずつ力を蓄えている種が見えたように思えた。このプロジェクトがあってよかったって思ったんです。

多分、期待も込めてですが、『サンセルフホテル』があったのとなかったのでは、彼の人生は変わっていたんじゃないか。社会全体からするとものすごくミクロなことだけれど、そういうことを大切にできるのが、アートプロジェクトのいいところだと思うんです。個人的にも人生なげうって取り組むんだから、そういう楽しみのあることを続けていきたい。

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芸術っぽくないと言われるかもしれないけど。しんどくなったときにちゃんと立ち直れる猶予、環境みたいなのがある社会っていいなと思っていて。アーティストも社会の亀裂というか、社会が抱える見えづらい問題や理不尽なことを起点に作品をつくったりするけれど、私もそういう状況に対してプロジェクトをつくる、という気持ちでいて。取手での取り組みはとても小さなことかもしれません。芽を出さずに消えていくかもしれない。それでも、社会に対して可能性を感じたくて、日々走り続けているのかもしれないですね。

取手アートプロジェクトがやっていくことは、こういう社会だといいな、と思うことを具体化していくプロジェクトにしていきたいんです。「あしたの郊外」を通していろいろな人が語った「郊外」に対するレスポンスとしても。じゃあ取手はこんな郊外にしようと思うので、見てて!って。

「あしたの郊外」という、上の世代が希望や課題を託した言葉を、私たちがプロジェクトで実現する。バトンを受け継いでいるような感覚があります。それで「あしたの郊外」という言葉を1つのプロジェクト名で終わらせるのではなく、今後、取手アートプロジェクトが活動していく上でのテーマとして掲げていくことに決めました。

郊外と銘打つことで、アートプロジェクトは、社会に向かって動いていく活動だという意思表示にもしたい。この先の社会を変えるためにやっている取手でありたいし、それがモチベーションになっています。おもしろいものが集まる郊外もあるんだね、ということが、誰かの価値観をちょこっと揺らすくらいに届いていったらいいな、と思っています。

2018/4/13  公開

edit:中嶋希実

photo:伊藤友二、取手アートプロジェクト スタッフ、中嶋希実